ひとつ、追加で書いておきたいことがあります。
ちょうどこの本を読んだ前日、Neと話をしていて、「大人になるとどんどん時間が短くなる。小学生の頃長かった1年が今ではあっという間に過ぎてしまう…」と僕が言うと、Neは「生きてきた時間との比率の問題ではないか、5歳の子どもの1年は、それまでの人生の1/5だが、50歳の人の一年は1/50なのだから、短く感じるのは当然だ」という意味のことを教えてくれました。まったく、そのとおり。負うた子に教えられるということなのでしょう。
この本の中には、別の理由が書いてあります。宮部さんの見方では、泉が「天啓」を受けたときと言って良いと思います。
《みな同じざんす。そうりだいじん死んでも世の中は困らない。ボクシング世界チャンピオン死んでも困らない。さいざんす。生きて生まれてきた者は全員さいざんす。これあまねく平等、なぜあなた、自分だけ選ばれたごとく嘆くざんす?》
詰問した。
《その人、その人いなくなると、その人じゃない人困らせるために生きていない。生きてる人、生きてるから生きてる。
あなたこれから中学なる。中学なったら小学ほど一週間長く感じなくなる。高校なったら中学ほど一学期長く感じなくなる。
なにゆえか。生きてるの、本当はいと短きあいだだから。大人になるの、生きてるの、ほんとうはいと短きあいだなこと理解することだから》
そして貂に似た人は室内に入ってきた。走り高跳びの選手のように〈はさみ跳び〉でぴょんっと桟を越えた。
《死はすぐそこにあるゆえ、あわて死にするべからず》
死はすぐそこにある、小六の子供は、死の近さをはじめて感じた。
《あなただけない。生きている人、みなすぐそこにある死に向かってるから、怖がらなくてもよいざんす。生きてるあいだは生きてるあいだをたのしく過ごすざんす。
あなた、あなたない人の靴を履いてはいけない。あなた、あなたの靴で生きているあいだ歩きなさい。さらば、あさにけにかたときさらず、ハッピ過ごせるざんす。ハッピの人のそばにいる人、いやな気分ならない》
重い言葉だと思います。泉が消えるようにいなくなってしまう理由もここにあるように思えます。
ひとりぼっちのメリー アート・ガーファンクル 動画
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